~小学校時代
小学校へ入学...
■札幌市緑が丘小学校へ入学
入学後、友達は自然と出来たが「自身的な感覚」では友達はいないと認識していた。
1年生で上記の学校へ入学するも、次の年には転勤で江別市へ。
■江別市若葉小学校へ転校
転校後、幼いながらに周囲との温度差に違和感を覚えた。
2年次の7月頃 よくある「取り巻き的な存在」の人物により「集団いじめ」が始まる。
「取り巻き的な存在」の率いる「集団いじめ」は2年次の段階では幼いせいか、「蹴る」
「殴る」の身体的暴力とWCへの「閉じ込め」や「私物の盗難」等といった「精神的暴力」
の2種類が日によって異なってあった。
3年次に上がり、担任とクラス替えがあったが「取り巻き的な存在」と同じクラスを共にする。
3年次と4年次の担任は老婆というと失礼かもしれないが、それに近い女性の方で「誠意」という
ものを大事にする人だったらしい。
3年次、4年次に上がっても「集団いじめ」は収まることがなく「逆に悪化」していた。
4年次に上がった時点で「部活動」と「委員会」を決める事になったのだが、主的には争い事が
好きではない為にそこまでどちらも乗り気では無かった。
「乗り気では無い」これが影響したのか役員決め等の日は朝から腹痛に見舞われる程に精神的に
来ていた。
「案の定」予想はしていたが、委員会の役員には強制的に決定された。
学級委員長:T(取り巻き的な存在) 代表委員:学級委員長と同・取り巻き集団内にいる女子
生活委員:主・取り巻き集団内にいる女子...
こんな感じにうまく調節された状態になったが、予想していたので「そうですか...」という
気持ちだった。
クラブは...というと何気なく「サッカー」にしてみた。
理由は簡単だった。 「とりあえずベンチでもいいから運動しておきたい」
委員会での活動は主に表向きな委員会活動の他に、終了後「集団いじめ」が待っていた。
クラブ活動の方では入部したものの「少年団」という組織から上がりたての人ばかりが多く
「予想通り」ベンチスタートのベンチエンドだった。
3年次、4年次の「集団いじめ」では多少、年頃というせいもあり「性の関心」というワード
を表すかの如くそれに準じた「服を脱がせる」「性的部分を触る」「性的部分の写真を撮る」
などの「性的暴力」が主流だった。
5年生に上がりクラス替えと担任替えが行われた。
主は流石に予想外だった事が起きる。
とりあえず転校後から卒業まで「取り巻き的な存在」と「取り巻きいじめ軍団」と同じクラス
になる事は予想外だった。
4年次に入ったクラブの「サッカー」では「顧問」より「少年団以外は除名」という名目で除籍
されたので「陸上」へ移った。
委員会は変わらず「生活委員」をする事になる。
5年次からの担任が「曲がったことは嫌い」な性格だった為に「いじめ集団」は担任により一時
沈静化する。
5年次の10月頃に突如「担任」が「休養」という名目で学校を長期休暇
(後に卒業まで休職する事になる)。
「集団いじめ」が再発するのは言うまでもない。
6年次に上がり、担任の代わりに副担任がクラスを任されたが「エコ贔屓」が目立つ人だった。
俗にいう差別。
副担任の差別行為は凄まじかった。
女子と気に入った男子のみ点数や評価を良くして参観日などは普通の人を装う。
ここまでは普通のレベル。
俗に言われるイケメン体質だった為に女子からのウケはバッチリ。
見た目とは逆に運動神経もよかった為に男子の一部からも上々。
一番酷かったのは「水泳」の授業と「体育」の授業。
「水泳」の授業では「女子更衣室」に何も無かった事の様に着替え中でも出入りするが、
女子達は動じない。
「体育」の授業では俗にいう「デブ」や「チビ」、「ブス」等といわれる部類には無視オンリー。
こういう人もいるんだなと理解しつつも「いじめ集団」を知ってて認可していた事がまた気に食わん。
卒業後に知った事を箇条書きに記載しようと思う。
5年次、6年次の「いじめ集団」による内容は、
・担任いじめ「性的暴力」「精神的暴力」によるもの → 担任妊娠(説明するまでもないだろう)
→ 流産後、離婚し数年の休職を経て職場復帰
・「性的な関心」は加速し、「強制逆レイプ」による行動へと発展
(一部の職員は知っていて報復を恐れ認可)。
・カッターやナイフ系統による脅し恐喝
・「取り巻き的な存在」の兄弟による「性的暴力」「身体的暴力」の数々。
※以上の小学校生活により、主は他人を信用するという事を辞めた。